ネフローゼ症候群と闘病中のマインドセット:どのようにネフローゼ症候群と向き合うか?(前編)

その他

こんにちは!

これまで当ブログでは、発症時・再発時の体調の変化や実際に現れた症状、使用している薬剤の変化等、身体的な部分にフォーカスすることが多くありました。

今回は少し毛色を変えて、「ネフローゼ症候群との向き合い方」について考えてみたいと思います。

ネフローゼ症候群は本当にデリケートで難しい疾患です。

そのような難しい疾患とどのように向き合っていくかということも、必然的に難しくなります。

あくまで私自身の個人的な考え方をご紹介することに留まる内容ですが、何かの参考になれば幸いです。

今回はその前編になります。

ネフローゼ症候群は「一生治らない」病気?

ネフローゼ症候群を宣告された時に言われたこと

私が微小変化型ネフローゼ症候群を発症した時、「一生治らない病気」であると言われました。

「一生治らない病気」ということをそのまま受け取ると、少し言い過ぎではありますが、正確には「治る」という概念が当てはまらない疾患であるということを認識しました。

「一生」ってすごく重い言葉ですよね…

私自身もネフローゼ症候群と宣告された時は、この「一生治らない病気」という言葉が重くのしかかってきた記憶があります。

実は「症状が出ていない間は、今までと変わらない生活を送ることができる」ということも併せて教えられていたのですが、全く耳に入ってこない状況でした。

とにかく何も手につかない状態が数日続きました。

寛解の概念

ネフローゼ症候群には基本的に「治癒」という言葉を使用せず、「寛解」という言葉が用いられるかと思います。

一方、医学的には寛解(かんかい、: Remission)という語を用いる場合がある。これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す。すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なす[1]

とくに「社会的寛解」の意味でその語を用いることの多い統合失調症においては、その症状により日常生活を含めた社会的な活動がほとんど影響されない程度にまでよくなった場合にそのように言う。しかし、その状態を保つために薬を服用し続けなくてはならないなど、一般的な感覚としては明らかに治癒とは異なる。

また、体質の問題であり、原則的には治癒しないとされるアレルギー疾患の場合にも用いられることがある。たとえば花粉症の場合、臨床的に3シーズン連続して症状を表さない場合に寛解したと考える。しかし、体質が変化していなければ再発の可能性はあり、こうしたことが治癒とイコールかどうかといえば、異なると言わざるを得ない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「治癒」最終更新 2020年1月1日 (水) 01:12

色々と書いてありますが、アレルギー疾患は「原則として治癒しない」と記載されています。

その代わりに、「寛解」という概念を使用することになります。

ネフローゼ症候群であれば、たんぱく尿が発現しておらず、血液中のたんぱく値が正常されている状態を「寛解」とするものと思います。

ただ、この「寛解」状態は永続する保証はなく、何かのきっかけで再発する可能性があるということで、「一生治らない」という意味になります。

以前の考え方

「とにかく最低限の事しかしない」

宣告されてしばらくの間は、この「一生治らない病気」という言葉にショックを受けておりました。

「これから健康には生きていけないのか」といったことや、「これからの人生に楽しいことがあるのか」といったことなど、今思うと恥ずかしいぐらいにネガティブな考え方をしていました。

まあ病気になったばかりの時は仕方ないですよね…。

それに加えて、ネフローゼ症候群には「再発の恐怖」があります。しかも、何がきっかけになるかわかりづらく、その線引きが非常に難しく頭を悩ませる疾患です。

一度再発すると、再びステロイドの量が増えることになり、数々の副作用が発生することや、「次はステロイドがちゃんと効くかわからない」という恐怖感もあります。

そのため、以前は「とにかく必要最低限の事しかしない、自分の好きなことや楽しいことはできるだけしないようにしないといけない」と考えるようになっていました。

何かしたいことがあっても、「それにチャレンジすることで再発してしまったらどうしよう、それならやめておこう」という思考回路ですね。

とにかく安全に、安全に…。

食事は味付けをまったくせず、とにかく塩分や脂質を抑えた味気のない食事にしたり、友人からの遊びの誘いもすべて断り、行きたかった旅行も断念して…といった生活です。

また、心のどこかで「病気の自分が楽しんではいけない」という、おかしな罪悪感を感じることもありました。

ふと気づいたこと

ただ、こういう生活を送っていると、ふとした瞬間に思うことがありました。

「一体何のために生きているんだろう」

「制限ばかり設けて(しかもあまり根拠のない)我慢をして生活しているが、その先にあるものは何だろう。」

「確かに再発は怖いが、じゃあ再発を避けるために自分のしたいことを諦めて生きていったとして、後悔しないだろうか。」

「今の制限をかけた生活をしていても、再発は起こったし…。」

「結局、逃げているだけではないだろうか」

そのようなことを頻繁に考えるようになりました。

ここから少しずつ、自分のネフローゼ症候群に対する向き合い方が変わってきたような気がします。

後編では、どのような考え方に変わっていったのかについて、触れていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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